どらやき。 甘くてまあるい、幸せの象徴のようなお菓子です。
ゆっくりとひと口頬張ると、粒あんのしっとりとした食感が口の中に広がって、幼い日の記憶が蘇ってくるような気がします。朧げでしっかりした記憶でもないから、やっぱり、大人になるにつれて忘れたり失くしてしまった何かなのかなぁ。
映画「あん」
ある春の昼下がり、テレビに映ったどらやきがあまりにも美味しそうで、なんとなくそのままこの映画を見ていました。物語が進むにつれ、ハンセン病に対する無知、無理解によって謂れのない差別と隔離生活を強いられた方々の存在を知ってはいても、その実際を全く知ろうともしなかった自分を恥じました。
どらやきのふっくらとしたカステラ生地の描写は、病に注がれる人々の偏見の目をより一層冷たく浮かび上がらせます。
一方で、こういった事実が、ただ悲劇的に描かれているだけではありません。
病気の後遺症のために自分の外見が変わり、療養所から一生出られないかもしれないという絶望の中で、風や木々の音、日常に潜む様々なものの声に耳を澄ます徳江さんの姿は、人はなぜ生まれ、何のために生きるのか、そう私たちに問いかけます。
小豆に話しかけ、あんの声を聞きます。
徳江さんにとって、「聞く」ということは、閉ざされた生活の中で自由になれる唯一の方法であって、人生で必ず何かを成し遂げないといけないなんてことはない、自然の一部としてただそこに存在するだけでいい、あるがままの自分でいていい、そんなふうに優しく語りかけられたように私には思えました。
勝ち組、負け組。私が最も嫌いな言葉の一つです。
勝ったとか負けたとか、誰が決めるのでしょう、そもそも勝つって一体何に..?
「どらやき、いかがですか」
失ってしまったと思っていた「私」の何かも、もしかしたらまだ自分の中にあるのかもしれません。
映画のモデルとなった多摩全生園。
− 原作者ドリアン助川さんインタビュー記事より抜粋
全生園には患者さんたちが植えた桜並木があります。私たちの周りにある桜の多くはたいてい枝が剪定されていますが、全生園の桜は一切ハサミを入れられていません。それは、「自分たちは囲いから出られなかったから、せめて桜だけは自由にさせてあげたい」という思いからだそうです。ですから全生園の桜はとても大きく、野生味があります。桜以外にも、亡くなった人のお墓代わりに植えられた木があったりと、一本いっぽんの木に物語があるんです。元患者さんと園内を歩くと、木を指して「この人はね、とてもいい人だったのよ」なんて話をしてくれたり。
私にとって、季節の移ろいを告げてくれる木々を、このような思いで見つめていらっしゃる方々がいることをちゃんと覚えておこうと思います。
