ヒロシマを詠む

戦後75年。

世界の誰もが平和を望んでいるはずなのに、紛争や争いは絶えることなく繰り返されている。なぜだろう。30年も生きてきて、どんなに考えてみても、未だに答えが見つかりません。ただ、どんな理由があろうと「広島」「長崎」を二度と繰り返してはいけない。そう思って今夏は一歩踏み出してみた。

東京新聞が主催する「平和の俳句」に、俳句が趣味の祖母に勧められて投稿した。

広島往く 幼き脚へ 熱き風

空蝉や ありし日の声 ドームわたる

どちらも、10代の私が初めて訪れた広島を詠んだもの。
原爆の熱線、爆風、犠牲者のうめき声が未だに聞こえるような感覚を覚えた、あの日の忘れられない記憶です。

「反戦」という声高な気持ちではありません。
ある日突然、愛する人やささやかな日常を奪われた人たちを唯々想い、祈りたかった。
今は、ちっぽけでもそこから始めないと。今も、きっと、これからも。

ファイル・ロケーション: 日和

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